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キトサンとは〜地球最後のバイオマス

キチンから見た植物の世界@  京都大学博士 (薬学) 原 正和


いかなる植物からもキチン質は見い出されない

キチンの発見はたいへん古く、19 世紀初頭にキノコから単離されました。私たちは長い間キチンの重要性に気づきませんでしたが、キチンに高い浄化作用や健康機能があることが次第に示され、この古くて新しい化合物は「最後のバイオマス1)」として脚光を浴びています。

「有用物質キチン」という場合、私たち人間とキチンとの関わり合いが問題となりますが、地球全体を生態系として考える場合、それはほんの小さな関わり合いでしかありません。

またそう考えると、人間以外の生物もまた、キチンとの関わり合いを持っていることは容易に想像できると思います。実際、ほとんどの動物および菌類は、キチンならびにその単量体(モノマー)のN- アセチルグルコサミン2) のお世話になっています。

昆虫、クモ、カニなどの節足動物の体表には、身体を支えるための硬い殻すなわち外骨格がありますが、この主成分はキチンです。また、カビなどの菌類の細胞表面には、保護膜の働きをする細胞壁が存在しており、その多くはキチン質で構成されています。

人間を含めた内骨格動物の軟骨や内臓はキチンそのものではありませんが、N- アセチルグルコサミンを多量に含む柔軟なグルコサミノグリカン3)でできています。

一方、植物はどうでしょう。植物は自然界切っての巨大な生物集団ですが、不思議なことに、いかなる植物からもキチン質は見い出されていませんし、N- アセチルグルコサミンを含有する多糖の存在例はごく限られています。

こうした知見から、今までキチンは植物にとって無関係な化合物であるとの考え方が一般的でした。

しかし、次に述べる発見をきっかけに、キチンは単に動物や菌類の体の支柱にとどまらず、植物にとっても必要不可欠な化合物であることが分かってきたのです。

植物はキチン分解酵素をもっている

1965 年ポーニングらはソラ豆や小麦にキチン分解酵素(キチナーゼ)が存在することを見い出しました。

キチナーゼはキチンすなわちN- アセチルグルコサミンが高度に重合したポリマーを分解して、モノマーやオリゴマ-4) (2〜20 個程度の重合体)を生成する酵素です。キチナーゼが植物に存在するとの報告は、植物学者の間で物議をかもしました。

なぜなら、それまでキチナーゼは節足動物や菌類において、脱皮や生長の際に古いキチン質を部分的に分解するためにあるものとされており、元来キチンを全く持たない植物には不要な酵素であると考えられていたからです。

その植物にキチナーゼが見つかったので、研究者は、従来の考え方を切りかえ、キチンと植物との密接な関係を想定し、次の二つの仮説を提唱しました。

一つは、キチンは植物にとって重要な栄養素であり、植物はキチンを利用するためにキチナーゼを持つという考え。もう一つは、植物は好ましくない菌類を駆逐するために、菌類の細胞壁を分解してしまうキチナーゼを有するという考え方です。

特に後者の考え方は、それまで予想すらつかなかった植物の生体防御機構を解明する有力な手掛かりとなりました。植物は地面に定着して生活しているため、全身がカビなどの菌類に侵されやすい環境にあります。

作物を例に挙げれば、現在われわれが口にしている作物のほとんどは、長い年月を経て品種改良が行われた、栄養価の高い美味しい作物であると同時に病原菌に弱い品種であるといえます。

一方、農作物の原種や野生種は収穫量が少なく、味は悪いが、病気に比較的強いという性質があります。農作物を美味しく改良すると、病気に弱くなるというジレンマを打開するためには、植物の病原菌に対する抵抗性のしくみを理解する必要があったのです。

こうした背景の中で、植物は侵入したカビを殺すためにカビのキチン質を溶かしてしまうキチナーゼを体内に蓄えているという考え方は、植物の外敵に対する防衛法を理解し、さらに農業等に応用しうる魅力的な発想なのです。

脚注
1) バイオマス:一定空間内に存在する生物のすべてを資源としてとらえ、有機物に換算した量。
2) N ーアセチルグルコサミン:糖の一種で、キチンの構成成分。グルコサミンのN ーアセチル体(右図参照) 。
3)グルコサミノグリカン:動物の株々な組織に含まれる主要な多糖成分。組織は多数の細胞から構成されるが、グルコサミノグリカンは細胞同士をむすびつけ、複雑な組織を形成するのに役立つものと考えられる。
4)オリゴマー:構成単位の比較的少ない重合体(2 〜 20 個程度) 。キチンが生理活性を発揮する場合、キチンそのものよりも、部分的に分解されたオリゴマーが関与しているといわれている。

キチンから見た植物の世界A


カニ殻は土壌の病原菌巣を叩き、作物の健康を維持する

一般の肥料にカニ殻を混ぜて施肥すると、病害虫に強い健康な作物が育つといわれますが、これは化学肥料や農薬を大量使用しない農法である有機農法を実践していらっしゃる農家の方々がしばしば使われるテクニックだと聞きます。

なぜ、カニ殻を施した作物は強健に育つのか。その仕組みは、恐らく多数の要因が複雑に関与しているものと思われます。

一般的には、カニ殻は土壌の微生物の分布を調節すると言われています。作物にとって有害な微生物には酸性土壌を好むものが多く、一方、地味を豊かにする微生物は中性〜アルカリ性土壌を好むと言われています。

従って、土壌をアルカリ化することは有益な微生物を増やすことにつながるのですが、カニ殻の主成分であるキチンは酸性の土壌をアルカリ化することにより病原菌の生長を抑制します。

また、キトサンは、マメ科の病原菌の増殖を抑える働きがあります。こうしてカニ殻は、土壌の病原菌巣を叩き、作物の健康を維持するというわけです。

一方、次のような実験結果があります。植物の切片を植物ホルモン5)という物質で処理すると、盛んに増殖する細胞集塊(カルス6))が生じます。

このカルスを無菌状態つまり一切の微生物を追い出してしまった環境で育て、キチンの粉末を与えると、カルスの生長は顕著に高まりました。

この実験結果に見られるキチンの効果は、菌類や細菌に作用する間接的なものではなく、植物細胞そのものに働きかける直接的なものであります。

ここからは私の想像ですが、植物は自らのキチナーゼでキチンを分解し、その分解物をエネルギー源あるいはビタミン7)として利用しているようです。

ただし、植物体にキチンが全く存在していないことを考えると、キチン分解物は速やかに別の化合物例えばデンプン等に変換されて蓄積されるのではないでしょうか。

もちろん、分解の際に切り離される窒素化合物は、植物にとって貴重な窒素源となり、タンパク質や核酸の原料として利用されるでしょう。

いずれにせよ、海産物のカニ殻が陸上の植物の健全な生長を促すとは、生物同志の付き合いは、海山の隔てのない地球という一つの生態系を舞台にしているような気がします。

植物、常に外敵をキチン分解酵素で破壊する態勢

植物にも免疫がある! 私たちが風邪をひいても養生しているうちに治ったり、過去にかかった感染症にかかりにくくなるのは、生体の免疫機能のおかげであることはご承知のことと思います。

免疫機能はわれわれ誰もが持つなくてはならない働きであり、病原微生物、異種のタンパク質・多糖類・脂質、異型輸血、組織や臓器の移植に対し、抗体というタンパク質や特殊な細胞を駆使してそれらを排除・分解しようとするシステムです。

もしこれが正常に機能しなければ、われわれは細菌などからの侵襲から身を守ることができず、ちょっとした病原微生物の侵入が即命取りとなってしまいます。このことがいかに恐ろしいことかということは、エイズ8)(後天性免疫不全症候群)の病態を知れば一目瞭然といえます。

それでは、植物にも免疫機能があるのでしょうか。実は動物の免疫とは仕組みは異なりますが、植物が進化の過程で育んできた固有の生体防御機構があるのです。

ここで簡単に植物特有の「免疫」のメカニズムについて説明し、キチンとの関わり合いについて述べたいと思います。植物が病原性微生物の侵入を受けると、植物体内にサリチル酸(私たちが頭痛薬として内服するアスピリンと同類の成分)が生じます。

この物質が信号となって、体内に一斉にPR タンパク質(感染関連タンパク質)が合成されます。PR タンパク質は、植物が病原菌に感染したり、傷害を受けたときに合成されるタンパク質であり、タバコでは5 種類のタイプが知られています。

その働きのうちの一つがキチナーゼ(キチン分解酵素)であることが明らかになっています。つまり、一度病原菌に襲われた植物は、キチナーゼを細胞内の液胞という貯蔵倉庫の中に蓄えたり、細胞表面にはり巡らせていたのです。

こうして植物は、いつ何時カビや昆虫が襲ってきてもそれらの外敵をキチン分解酵素で破壊できる態勢をととのえていることがわかってきました。

今述べた一連の生体防御反応は、植物が一度襲われた病原菌や昆虫から身を守る仕組みであり、まさに植物にとっての免疫と言ってもいいのではないでしょうか。

それでは、この免疫反応を引き起こす物質はなにか? それがキチンなのです。微生物や昆虫が植物を侵す際に、侵入者の表面から溶け出たキチンを植物は敏感にキャッチして防御反応を起動するのです。

脚注
5)植物ホルモン:植物体内に存在し、植物の形態形成や生長を調節する物質。
6)カルス:植物組織を適当な培地で培養すると、細胞分裂を繰り返す無定形な組織塊が生ずる。これがカルスである。カルス形成の技術は、植物バイオテクノロジーで最も多用されるテクニックの一つである。
7)ビタミン:栄養素のうちで、糖質・脂肪・タンパク質・ミネラル以外に生命活動を維持するうえで必要とされる微量有機物。現在まで多数の化合物がビタミンとして取り上げられているが、キチンはビタミンとして扱われていない。
8)エイズ(後天性免疫不全症候群):エイズウイルスの感染により免疫機能が低下する病気。細胞性免疫の主役であるT 細胞に選択的に感染し、それを破壊する。その結果免疫機能は不活化し、様々な感染症にかかり多くは死亡する。AZT などの抗エイズ薬が開発されているが、有効な治療法には至っていない。

キチンから見た植物の世界B


カニ殻農法、あたかも植物のワクチン療法

ここで、キチンが植物の免疫にいかに働きかけているかについて、もう少し詳しく見てみましょう。

例えば、病原性をもつカビが免疫能を獲得していない植物の表面に付着したとします。このカビは即植物細胞の細胞壁に穴をあけ、細胞内に侵入します。

先に述べましたように植物はもともとわずかではありますがキチン分解酵素をもっています。従って植物細胞へ入り込んだカビの細胞壁は部分的に溶かされます。

この際に溶かされたキチン(特にオリゴマー)は恐らく植物の細胞膜上にあるキチンオリゴマー受容体に結合し、これが信号となって、サリチル酸が合成されます。

サリチル酸は傷害を受けた箇所から植物全身へ広がり、伝達した先の植物細胞の表面にあるサリチル酸受容体に結合し、これが信号となって、PR タンパク質の遺伝子が働きはじめ、一連のPR タンパク質が植物体内で大量に合成されると言われています。

もちろんキチナーゼはPR タンパク質の一つですから、植物体内は高活性のキチナーゼで満たされることになり、始めに感染したカビは駆逐されるうえ、以後この植物は病原菌や昆虫による被害が少なくなるというわけです。

最近キチナーゼ遺伝子を導入し、キチナーゼを多量に発現させたトランスジェニック9)植物が作出され、カビに対する抵抗性について調査されつつあります。

将来、様々な有用植物にキチナーゼ遺伝子が導入され、カビによる被害を受けにくい植物が次々と育種されてゆくのではないかと思われます。

ここで、すでに述べたカニ殻農法について再度考えてみますと、カニ殻農法はあたかも植物のワクチン療法10)であるかのようです。

なぜなら、肥料として施されたカニ殻は、土壌微生物により徐々にキチンへと分解され、そのキチンが作物の免疫能を高めることによって作物は健康に育つという仮説が成り立つからです。

カニ殻農法とは、植物自身が持つ免疫力を上手に利用した大地にやさしいバイオテクノロジーであるといえましょう。

キチン、植物の免疫力を高め防衛反応を引き起こす

キチンは植物にキチナーゼを合成させることによって植物の免疫力を高めると言いましたが、その他にもキチンはこれとは全く別の生体防御反応を引き起こすことも知られています。

植物に病原菌が感染したり、昆虫が植物の一部を食べたりすると、しばしばその傷害部が黄褐色に変色します。

この黄褐色の主成分はフェノール類と呼ばれる物質なのですが、その中には抗菌性をもつフィトアレキシンという化合物が含まれています。

フィトアレキシンとはギリシア語で植物を意味するフィトンと抗菌性物質という意味のアレキシンの合成語であり、植物由来の抗生物質11)という意味です。

植物はそれぞれ固有のフィトアレキシンを持つとされ、いずれの化合物も比較的多くの種類の病原菌を殺すことができます。下に代表的なフィトアレキシンを示しました。

植物の細胞に病原菌を感染させたり、キチンを与えたりすると、フィトアレキシンの合成酵素の遺伝子が速やかに発現して、フィトアレキシンが一気に合成されます。

こうして、病原菌が侵入した組織はまたたく間に抗生物質によって満たされます。同時に、患部の周辺の細胞ではリグニンという物質(これもまたフェノール類12)が合成されます。リグニンは漆喰のような働きで細胞壁を強固にし、患部が広がるのを物理的に防ぎます。

このように、植物は侵入した病原菌を強固なバリアーで封じ込め、内部を薬(=抗生物質)で充満することによって効率良く病原菌をたたくという仕組みを持っています。

この戦術は、近年薬剤治療における最大のテーマであるドラッグデリパリーシステム13)、すなわち薬物を患部に直接与えて治療効果を上げるという方法と全く同じものであるといえます。

植物がこのような複雑な防衛法を遠い昔から実践していたということには驚かされますが、こうした仕組みがキチンによって担われているということも重要な事実といえましょう。

以上、キチンと植物との関係について述べましたが、キチンを直接有効利用したい私たちにとって、この話題はあまり興味の湧かない内容であったかも知れません。

しかし、人間が地球の生態系を構成する一員である以上、他の生物の生き方を知ることは無益なことではないでしょう。キチンによって健康な植物が育てば、それを利用するわれわれもまた健康に生活できるでしょうし、そうした方法こそ自然を無理なく利用するかしこい方法ではないかと考えます。

キチンはセルロースに匹敵する巨大なバイオマスですが、このように多量に存在することにはなんらかの意味があるような気がしてなりません。

この意味が少しなりとも明らかになれば、われわれはキチンをより深く理解できると同時にファインケミカルとしてさらに有効に利用できるのではないでしょうか。

脚注
9) トランスジェニック植物:外来の遺伝子を導入し、その遺伝子を染色体上のどこかに組み込んだ植物。現在、植物に関する基礎研究や育種の分野でトランスジェニック植物を使った研究が盛んに行われている。
10) ワクチン療法:病原性を弱めた微生物を直接体内に接種し、免疫力を高めることにより感染症を予防する治療法。
11) 抗生物質:生物が産生する化学物質で、低濃度で細菌等の微生物を殺したり、生長阻害を起こすもの。
12) フェノール類:フェノールは消毒剤であり、歯の痛み止めや胃腸薬の独特の臭いのもとです。植物にはフェノールそのものではありませんが、それに近い化合物が多く含まれています。これらを総称してフェノール類と呼びます。生薬や漢方薬の有効成分や、フィトアレキシンにもフェノール類が少なくありません。
13) ドラッグデリバリーシステム:患部への選択的な薬剤輸送法。薬物の多くは生体にとって毒物であることが多い。従来の経口や注射による薬剤投与は、多量の薬物を全身に投与することになり、副作用の原因のーつと考えられてきた。そのため、薬剤を患部にのみ作用させる方法が、安全かつ効果的な投与法として現在研究が進められている。


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